大学で友人と会った。2ヶ月と少しぶりに話したが元気そうだった。このWebサイトに載せている私の文章についてのコメントを、それはもうたくさんもらった。一番耳が痛かったのは、最初の方が文章が素直だったね、という指摘。書き慣れてくるにつれて、自分の文章をよく見せたいという下心が透けて見えるようになってきているとのこと。言葉に踊らされている-というより憧れの言葉を使って踊りたがっている?-ところには多少自覚があるので、悔しいが否定できない。それ以外にも、主に「梯子」について細かな表現であったり、内容の齟齬であったり、思ったことを色々と話してくれた。書き手と読み手の間には持っている情報量に大きな隔たりがある。そのことにたくさん気づくことができた。
共同研究室-空調が全館調整になっている関係で数ヶ月前は暑くて仕方なかったが、今日はそれなりに快適だった-を後にして、昼ごはんとして学食を食べながら引き続き話をした。お互い「責任」という概念に関心を持っていることがわかったので、各々の論考ただただ話すパートがあった。楽しかった。もう少し本を読んで考えをまとめていけたら、さらに楽しくなるのかもしれない。
下心剥き出しの過去の日記などを手直ししようかとも思ったが、まあそれはそれで味であり、ほんのりと文体が変わっていく様が見えるならそれはそれで面白いかもしれないというもっともらしい言い訳をして、推敲のめんどくささから逃れることにする。
別れたのち、図書館で「石と木箱」を書いた。好きな質感。出先でピアノが使えないので作曲はまた後日。附属図書館は微妙にぬるい。寮に比べたら多少はましな気もするが、それでもじんわりと汗ばむのを感じる。いい席を探してうろうろするもどこも似たり寄ったりな気がする。地理学のレポートをいやいやながら進めようと参考図書を開いたら、全然違う本だった。外見が似ていたせいで間違えてしまった。期日にはまだ余裕があるし、貯金もあるからまあいいや。
間違えて持ってきてしまった本は、北山晴一氏 (1998) の『男と女の「欲望」に掟はない : 非純愛・三角関係・セックスレスの情念』というもの。公言したらお前そんなん読んでんのかよと煙たがられそうな気がしなくもないタイトルである-というと北山氏にはあまりに失礼ではある-。最近の私にとって、「情念」というテーマが結構あついけれど、純粋倫理学的な話をいきなり読むのも大変かなあと思って具体性がありそうなこの本を手に取った、という次第である。
筆者は摂食障害を母娘関係に回収して説明し尽くそうとする態度を取り上げて、「整然すぎる説明にはつねに用心が必要」(109, 110頁) と述べていた。「整然」は「上手な単純化」とも言えるだろう。事態をすっきりさせて見取り図を作ることができる意味で単純な議論も価値あるものだが、その価値が全てではないということは頭のどこかに置いておかなければならない。これは経済学や社会学の理論モデルを扱うときも同様である。
多くの男性は「かわいい」という言葉を不愉快に思うといった記述があった。時代の違いもあるのかもしれないが、私はちょろい人間なので、かわいいと言われるのは嬉しい。かわいいとは「上から下へのパターナリズム」(112頁) を多分に含む表現であるという指摘がなされているが、そんなものは知らない。どんどん言ってほしい。可愛い人、愛嬌がある人になりたい。
ルッキズムに関わるあれこれ-例えば、脱毛、服装、化粧、美白など、文化史、文学、思想史等々を引きつつ論を展開していた。25年くらい前の議論とはいえ、今にも適用できそうな話がそれなりにあって面白かった。私がルッキズムに毒されてしょうがない人間であるがために、一層面白く感じられた。
男性性と女性性というテーマは私にとって大きいところだが、この本でも触れられていた。セクシャリティについての自分の揺れもだいぶおさまってきたので、近々エッセイを書きたいと思う。億劫がってぽしゃってしまいそうな気もするけど、自分にとっては大事な話なので書き上げたい。書こう書こうのテーマだけが増え続けている…。
寮の先輩とほんの少しだけ図書館で一緒に作業をした。コンビニに行ってメロンパンを買って食べた。日が落ちた夕方の風は涼しい。自転車を漕いで下鴨ロンドに向かった。
今日は上映会。アニエス・ヴァルダの『落穂拾い』というドキュメンタリー映画を見た。2000年のフランス映画。規格外品として廃棄されたじゃがいもを拾う人、粗大ゴミとして捨てられていた冷蔵庫をアレンジして作品にする人、ゴミ箱を漁って調達した鶏肉を調理してご近所さんに配る人など、いろいろな「拾う」人が切り取られた作品であった。出てくる人々は面白くてかわいい。監督の茶目っ気もたくさん現れていて、何度も笑ってしまう。私がこの映画を好きだと思ったのは、安易に社会問題へと回収し、人々の同情心をくすぐらないことだ。もちろん問題は問題としてあるし、解決へと話を進めていかなくてはならないが、それ以上にたくましく、楽しそうに生きる人々が描かれていて、美しかった。
上映会に来ていた人に、「映画をよく見るんですか?」と聞かれた。私は映画を見ないわけではないが、それほどたくさん見る方ではない。どちらかというと、下鴨ロンドという場所やそこに集まる人が好きだから人に会う口実として上映会に足を運んでいる。
なんだか恋人と無性に話したくなった。人の不在は人でしか埋まらないわと思ってここ数日はいろんな予定を入れたし、たまたま色々とやりとりする用が重なっていたので、人と接することは多かったのだけれど、ふと切なくなってしまった。自転車を漕いで寮に向かう途中で何を話そうか考えて、寝る準備をして、屋上から通話をした。たくさん話した。