私にインターネットは向いていない。より正確に言えば、私の行為に対して、他者にリアクションの可能性が開かれているSNSが、向いていない。リアクションを待ってしまう。あとは、コンテンツの再現のなさが、向いていない。溺れてしまう。
授業中のこと。別に嫌な空気が流れていたわけでもない、普通の教室だったのに、なぜか耐え難くて、15分がやけに長くて、早退してしまった。初めてのことだった。今まで確信犯的に早退したことはあれど、こんなことはなかった。ショックだった。
図書館で岸政彦さんの『断片的なものの社会学』を借りた。5,60頁ほど読んだ。好きだなと思った。千葉雅也さんの『勉強の哲学』、『センスの哲学』や、青山拓央さんの『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』を読んだときのような、柔らかさを感じた。
恋人と夕食を食べた。先のショックな出来事もあり、私の口ごもる場面が多かった。少し外の空気を吸いつつ体を動かしたくて、散歩に付き合ってもらった。散歩を切り出すのには、なぜか勇気が要った。少しずつ心がほぐれるのを感じた。助けられた。
実家へ帰った。いつもは愛しのラテ(ミニチュアダックス)が吠えるに違いないのに、玄関の扉を閉めても、廊下を歩いてもぐっすり眠っていた。しばらくして洗面所を使った時に、トコトコ歩いてきてくれた。ありがとう、また明日ね。
独り暮らしの時、私はきっとトイレの鍵をかけない。鍵をかけることは、他者を意識すること。それは他者を拒絶しようとする行為ではなく、「あなた」が誤って「私」の領域を侵犯してしまい、バツの悪い思いをすることのないように、配慮すること。
有限で、不便なるものを愛する気持ちが、私の中にある。それは安定を求める心、保守的な私の性質を表している。私は本棚に収まっている本しか読めない。奥の方の本は取り出しにくい。拡散するにも限界があるそのさまは、時として私を安心させる。