ずっと、私にとってはどうでもいい話だった。
ご婦人方の世間話も、怒りっぽい奥様も、家族の元を離れなければならないご主人も、人目を避けていちゃつくカップルも、窓の外の惨状に胸を痛めるお婆様も、有刺鉄線の向こうで響く銃声も、叫び声も、収容所に向かう汽車や焼却炉から出る黒煙も、全部どうでも良かった。
「そんなことより」、私にとっては、ずっと座りっぱなしで体が軋んでいることとか、明日のバイトを憂鬱に思うこととか、書き上げられない曲のことを考えることとか、恋人を思って胸を痛めることの方が大問題だった。
一緒に見た友人は、最近読んだ本とか、アウシュビッツに関連する知識とか、この春くらいに見た映画とかと結びつけて気持ち悪くなっていたらしい。私と彼との「the zone of interest」はまさしく異なっていた。映画の登場人物らにとって、ホロコーストをめぐるそれが異なっていたように。
私にとって、世界で起こっている戦争も、日本の政治も、熊野寮の運営も、言ってしまえばどうでもいい。「そんなことより」、減っていく口座の残高や、大学を卒業した後に待ち受けている日々への不安の方が大切だ。私は、あまりにも、内に閉じている。そのことを改めて感じた。