240929

日記

久しぶりに日記を書き、1ヶ月ぶりにこのサイトを更新する。

今日はアルバイト。いつものごとく職場へ向かうが、なんだかお腹が痛くて不快だった。出勤して1時間も経った頃には自然と引いていた。よかった。

10/2の水曜日には研究室のゼミがある。数日前まで講読だろうとたかを括っていたのだが、中間報告だというご連絡をいただいてしまったので進捗を産まなければならない。ということで、先日行った生活史調査の文字起こしを進める。

なかなかに辛い作業である。話者のニュアンスをできる限り損なわないように、音声を細かく切って書き起こしていく。今の自分の技術では、5分の会話を起こすのに30分はかかる。全体の尺は2時間30分。今朝の段階で進捗は20分と少し。今の時点での進捗は1時間6分と少し。遅々としているが、進んではいる。修行のような時間である。

ただし、文字起こしが完了したからといって、それをそのまま持っていけるわけではない。この聞き取り結果という具体例を元に、分析を進めていかなければならない。休憩に、中間報告の内容と、生活史の具体例との対応とを考える。ゼミ合宿でボコボコにされただけあって、以前よりは方向性が定まってきている。嬉しいが、まだ先は遠い。

夕食中、ふとSNSに目をやる。instagramを数日ぶりに開く。知った人がコンサートの告知を行なっていたり、一方的にフォローしている絵描きが新作を投稿していたりする。胸がキュッとなる。私はこもってキーボードを叩いているだけで、何もなしていないような気になってくる。苦しい。

Discordでは、熊野寮のブロックで行なっている、Webサイト企画の記事の読み合いが進められている。自分の書いたものにも、確かに他者が反応してくれているにも関わらず、他の人よりもわずかに少ないリアクションを見て苦しくなる。私の浅ましさにまた苦しくなる。

両方のアプリからログアウトする。その上でアプリブロッカーをかける。これで、そうした事態を見なくても良くなる。見えないことは、ないのと同じだ。一度頭に焼きついたものは消えないかもしれないが、さらにさらにと上書きすることもなくなる。これ以上傷を負わずに済む。

今日はまだしばらく残っている。もう少し生活史の文字起こしを行うつもりでいるが、限界を迎えているようだったら諦めてYoutubeで推しを眺めることにする。