退屈が苦手だ。何か書くか、読むか、聞くか、見るか、弾くか、歌うか、食べるか、歩くかしていないと落ち着かない。身体のどこかを使っていないと気が済まない。夜、横になるときでさえ誰かの配信を垂れ流すなどして人の声を聞いていないと眠れない。
一人の時間が自分にとって安らぐものになっていない気がする。何もしていないと考え事が際限なく膨らんでいってひどい気分になってしまうから、脳を含めた身体のどこかを他の何かに向けることで誤魔化さなければならない。そしてこれは、当然疲れる。たいした集中力がないので、物語を書き続けることも、楽曲を分析し続けることも、学術書と格闘し続けることも、私にはできない。大抵歩き回るか、何かを食べるか、水を飲むかしている。
その点、人と話していたり触れ合っていたりする時間は好きだ。もちろん相手との関係性や相手の性質にも大きく依存するのだが、余計なことを考えずにぼやんとできる。気心知れた相手であれば会話のためにあれこれ考えすぎることもない。疲労感が少ない上に、太った思考に押しつぶされることもない。
ある友人からやりたいことがたくさんあって羨ましいと言われた。その時はあまりよくわからなかったけれど、今は私の衝動性のためなのではないか、何かしていないとおかしくなるから何かしなければならないという脅迫性からきているのではないかと思っている。
一人ででも弛緩できるようにならないと、おかしくなってしまうのではないかと思う。
今日のバイトは比較的静かだった。業務としては少しの電話対応と来客対応をしたくらいで、あとは好きにしていて良かった。ある友人とちょこちょこやっている読書会の本を2章とゼミの講読に向けてヒュームのエッセイを一つ読み進め、今やさほど関心がなくなってしまった経済学のテキストをパラパラと眺めて、三日前くらいに告知を見た読書会の本を読み切り、フィクションを一本書いて、藤井風の「満ちてゆく」のワンコーラスのメロディとコードを書き出して、企画の告知を打ち、日記を書いている。もうだいぶ疲れているのだが、巡回の時間が来ない限り横になることもできないからやめることもできない。水を飲みすぎたせいでお腹はいっぱいになってしまっている。不快だ。
コンテンツブロッカーを導入してからというもの、SNSをぼんやり眺めることがなくなった。しかしその分脅迫的に何かをしている。今日は特にひどい。貧乏ゆすりを抑えることができない。