何もできていない。いや、正確には中間試験を受けたし、業者対応もしたし、ちゃんとご飯も食べた — これが一番偉い — から、何もしていないというのは嘘に他ならないのだけれど、しかし何もできていないというのが正直な実感である。
以前動けなくなって — これも正確ではなくて、多動ゆえに何かしらの活動はしていたのだが実感としては動けなくなって — 休学して実家に逃げ帰った時の話である。動けないと言った時、親には体が動き出すまで待ちなと言われた。そんなこと言われたってこっちにも事情ってものがあってだなと、口にしたかどうかは覚えていないが、思ったことは覚えている。
しかし、それから一年と少し生活をしてみて、その言葉の正しさを嫌々ながら確認してきてしまった。ちくしょう。
だから今も、待つのが正しい。諦めて寝るのが遠い目で見たら一番早い。
それでも、明日に予定している大学のゼミや、ライティングの自主ゼミを休んでしまうのは気が引ける。どちらも小規模だから、私が休むかどうかで開催されるかどうかが左右されてしまうのを気にしているのかもしれない。でも、そういう問題じゃなくて、私は根が真面目だから、信念としてはやはり完遂したいと思ってしまうのかもしれない。
大義のために死ぬ人ってすごいと思うけど、別に身近な人にいてくれなくていいと思っている。だから、信念を貫いて体の悲鳴に耳を傾けず、ぐったりしている身近な人を見ると勘弁してくれと思ってしまう。けれど、私もまた大義を捨てきれないでいる。勝手な話だ。
とりあえずできるところまで読んで書いて、オンラインでの参加ができるか打診できたら今日は上々だとしよう。早く寝るに限る。