2年連続、大晦日をバイト先で過ごしている。去年は12/30, 31と48時間ぶっ通しだったので、それと比べると大晦日の一日だけで済んでいるのは可愛いものといえば可愛いものなのだが、身にこたえないわけはない。早く帰って寝たい。
去年は12/30と1/2が忙しく、12/31と1/1は静かな印象だった。やっぱりみんな大晦日と元日は病院に行きたくないものよね。だからこそ、今日のシフトは穏やかなものになるのではないかと高を括っていたのだが、実際は全くそんなことなかった。風邪、猛威を振るいすぎである。ぼちぼち始めようと思っていたテスト勉強の教材を開く気にもならないくらいにヘトヘトになってしまった。今は17時の手前である。
私には体力がない。適当な読み書きしかできてないのは、踏ん張りきれてないからだ。加えて、十分に時間を割くこともできていない。ずっと追われてばかりで、その場を凌ぐようなことしかできていない。適当な読みと適当な書きを重ねているだけで、試行回数と投下時間の割には骨太なものを産み出せていない。流石にひとつもないとは言わないが、そんだけリソースを割いているならもうちょっといいもの生み出せるんじゃないの、というところである。
と、書いておいてなんだが、「こうこうこういうふうにできてないよね〜」と言って終わりにすることが多い。多すぎる。言ってるだけになりすぎだから、「じゃあどうやったら出来んのさ」まで考えないと意味はない。
なんで体力がないか——運動してないからだろうね。なんで時間を割くことができてないのか——忙しすぎるからだろうね。運動できてないのも、生活の中にその時間を設定できないほどに慌ただしくしちゃってることに原因がありそうだから、二つ目に回収できる。要は、忙しくしすぎている。
「忙しい」は「キャパに対して詰めてる量が多すぎる」だから、アプローチとしてはキャパを増やすと詰めるものを減らすの2つのアプローチがある。でも、前者は結構難しいから、あんまりこっちに依存しない方がいい。差し当たっては減らすを考えた方がいい。運動を組み込むことができるくらいに詰めてるものを減らして運動にリソースを割くことが、結果としてキャパを増やすことにきっと繋がるから、長期的にみたらとっとと運動するが理にかなってる。これは間違い無いと思う。
じゃあ何が詰まってんのって話。まずバイト。週に1回職場に24時間拘束——この年末年始は週に3回入っている。おかしい話すぎる——。作業はできるし、寮に自分だけのスペースがないのに対して、職場の事務室は1人になれるという点では良さもあるものの、電話対応って疲れるし、そんなに眠れないから翌日に響く。日曜にシフトに入って月曜を半分ダメにする——というか半分で済めばまだ良い方だったりする——のがここ最近。こうなると、じゃあそこまで金がいるのか?という話になるけれど、流石にいる気がする。仕送りは食費と寮の家賃、その他ちょこちょこ買い足さなきゃいけない日用品のためにその大部分が溶けていくので、好きに本を買ったり、人とお出かけしたり、たまにちょっと美味しいものを食べたり、機材とかソフトを買ったりするにはどうしてもお金がいる。だからバイトを削る線はない。これはいじれない。
次は大学の単位のために必要なあれこれ。私は授業が得意ではないから、試験・課題・レポートで成績要件が埋まってるものしか取れない。それぞれをこなすのも一苦労だし、そもそも心のどこかでやらなきゃいけないと思う心的コストが高すぎる。やだやだ。じゃあ大学辞めればいいじゃんって話なのかもしれないけど、それは流石に暴論すぎる。学士号くらいは欲しい。なんでって言われたら、大学卒の肩書って大事だと思っているから。これもくだらない価値観だと言われたらそれまでだけど、でも大事にしたい。だから、これを削るわけにはいかない。
あとはゼミのあれこれ。講読もゼミ論も、生半可な準備じゃ太刀打ちできない。これも準備と気疲れの両方が大きめ。単位に必要なあれこれに含めてもいいけど、重みが比べものにならないので独立した項目とした。加えて、我が学部はゼミが卒業要件に含まれていないので、その任意さっていうのも区別されるところではある。じゃあゼミを切ってもいいじゃんって話かもしれないけど、研究室の先生は大好きだし、すごく力になる学びをしているのから、その線はない。どうにか踏ん張りたい。何より、ゼミに行かなくなれば大学にいる意味が半分くらいなくなる。そんなことはできない。
他には熊野寮運営のあれこれもある。寮を出るの線はない。下宿だとお金がかかりすぎる。埋め合わせにバイトを増やして時間を失うのは惜しい。あと、シンプルに面白い場所すぎる。今の生活が楽しい理由のほとんどに寮がついて回ってくる。もっと稼げるようになるか、別の楽しいことを見つけるかしないと出る気にならない。じゃあ住みつつ、仕事をほどほどにしたらいいじゃないのって話もあるけど、力を抜きすぎるのは性に合わない。良心ってもんがあるから——言ってしまえばただのお人よしでもあるのだけれど——、頑張ってくれてる人を見ながら何もしないでいられる自信はない。何もできないから病んでいた時期も長いしね。となると、稼働しなきゃならんのですわ。
あとは、C12談話室 on webの運営、来年の文フリに向けた企画、熊野寮祭からの継続企画 (ちょっとサボってる) 、お互いの文章を読み合う会、4つくらいの読書会など、ある程度の主体性や事前準備が必要とされる、他者との活動とか。これは確かに絞りようあるのだけれど、それぞれにそれぞれの楽しさがあるし、ここを削ると孤独になってしまう……。ものによっては代替わりで荷が降りるときもくるだろうし、特定のタイミングで終わりを迎えるものもあるだろうから、自然と間引かれる気もする。とはいえ、やっぱり広げすぎてるのは否めないか。あんまり1人に閉じるのはどうもね、と脅迫的になってるところもあるかも。もう少し絞れるものもあるにはある。
そして、物語・論考・日記、曲、イラスト (ここ2ヶ月はご無沙汰) 、デザイン (頭ばっかりでかくなって泣いてる)、動画 (ほぼやってない) の個人的な——趣味としての——作成とか。あとはこれらに付随する練習 (楽器の練習とか、ドローイングとか、機器やソフトの扱いになれることとか) もある。ここは削っているところ。あんまりそうしたくはないけれど。でも、この辺って独りよがりになりがちだし、こればっかりやるのは避けたい。でも、生涯やっていきたいと思っていることだし、なんだかんだ自分でやることって大事だと思う、良き鑑賞者たるにも。ほどいいスタンスが自分自身よくわかってない。もうちょっと時間割きたい。
最後に、人付き合い。人付き合いというと嫌な響きがあるかもしれないけど、めちゃめちゃ大事なところ。これがないと私は寂しくてダメになってしまう。一緒にご飯食べるとか、遊びに出かけるとか。大事だと思っている。他の人がいないと生きていけない。今はほどほどにやれてる気もしつつ、もっと話たい人・お近づきになりたい人もいるから、もう少し頑張りたいところ。
欠けていると感じてるのは、やっぱり摂取すること。映画も音楽も美術も思想も、もっと取り込みたい。けど、かける時間が足りてない。ここを丁寧にしていきたい。削るとかいう話ではなく、欠けてる部分の話。
改めて書き出すと、まあ詰まっている。とっとと単位とって、休学しまくって大学に振り向ける時間がなくなればのびのびとできるんだろうな、とは思う。そのために今は踏ん張ったほうがいいのだろうな、ということも。でも、私は先の楽しみを確信できなくて辛くなりがちだから、そんなことできるのかしら。わからん。けど、あれもこれも捨てたくないよーで回らないのは確か。ちゃんと書き出してみただけいいとするか。それも甘えか。うーん。
あと、触れてなかったけれど、疲れたとき何してんのって話。SNS見てる。これはあんまり良くないと思う。instagramで頑張った成果報告とか、楽しげな生活の断片を見ていると、どうしようもなく惨めになって凹むし、X (旧Twitter) で展開されてる議論を見ると荒む。あとは賢い人たちを見て、俺ってしょうもねえなと悲しくなる。Youtubeもなー。いいコンテンツももちろんたくさんあるけど、惰性で見すぎている。どれもアプリブロッカー入れてから依存度合いは多少はマシになっていると思うけど、それでもなー。SNS見るくらいの元気しかないときに、ホイホイ開いてより一層元気失ってんの頭悪すぎる。大したプラットフォームだよなあと思う。自分の作成した曲とか文章とかを楽しんでくれる人もありがたいことにいてくれているから、その人たちに届けるには、という思いもあって告知でinstagramを使うけど、投稿したら投稿したでストーリーを何人見てくれたか、ハートをつけてくれたかどうかそわそわしてしまうのが、嫌だ。動画ってファイルが重たいから、自分のサイトに直貼りするのは流石に避けたくて、そうなると外部のプラットフォームを使わないではいられないわけだけれど、それらのサービスってご丁寧に視聴回数を表示してくださるもんだから気になっちゃうのよね、という話。むずいよー。早いとこスタッフを雇って、自分は一切SNSに触れず、メールでだけリアクションをもらえるようにするとかしたいよー。でもそんな金も実績もないから自分でやるしかなくて、具合が悪くなるわけですね。
疲れた時は寝ちゃったり風呂入ったほうがいいんだろうなと思いつつ、なかなか電子機器を手放せない。難儀ですね。あーーーーーーーーーーーーー。ちくしょう、私は脳内麻薬とやらにずぶずぶですよ。それくらいならベープでも買うか。煙草の誘惑を紛らわすために一時期やってたの、結構良かったんだよな。でもふっつーに外で吸ったら周囲の心象良くないだろうし、とはいえ喫煙所で吸うくらいならニコチン取ってよくねえかとなるし。でも、ぼんやり深呼吸する時間って、光る板を眺めてるときよりは健やかなんだよなー。やっぱベープか。でもじゃあそれを吸えない職場では、すぐ横になれない職場でどうすればいいってわけ?もう仕事なんてやめようぜ、ちくしょう。
仕事納めなどなく、このままシームレスに2025に突入だ。まだあと3時間半以上もある。どうしろってんだ。あたし、退屈無理すぎ。更新のないLINEとdicord開いて、泣きそうになってる。助けてくれ。
筋トレでもするか?立ってできるやつもあるもんな→した。以前みた背筋トレーニングとしばらくのスクワット。別にいつだってできるのに、少なくともここ2週間はサボってた。栄養バランスが悪そうだからって飯を抜くほど愚かなことはないのに、筋肉のバランスがーとか、ストレッチも合わせてやんなきゃとかいうよくわからん脅迫性で運動を避けるの、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
もうやだ、誰か助けてくれ→そんなこと言ったって、自分でやんなきゃいけないんですよ。そもそもそんなこと言って助けてもらったことがありますか?ないなら意味ないんですよ→うるさい、祈るくらい勝手だろ→だからと言って人目につくところでそんなことするのって美しくなくないですか?→それは一理あるわね……。
美学の問題なんですわ。自分に閉じんのってよくないよねとか、それでも自分の時間を大切にねとか、別に健やかに生活できてたら、荒んで破綻してなければ、ただのこだわりなんですわ。どうだっていいじゃないですか。
いつだか先輩に言われた、「俺は白橋くんの、全裸中年男性さを見たいんだよ」の言葉を胸に、脱ぐかとも思ったけれど、どうにもデジタルタトゥーを残すことへの抵抗って消えてないんですわ→こんなに日記発展だから、もう恥ずかしがることないんじゃないですか、もうすでに生き恥晒してんじゃないですか?→そうっちゃそうだけど、私にも最低限の恥じらいってもんがあってだな。
「頭の中で思ってること、全部書く」のフリーライティング。手を止めずに、脳みその検閲を入れずにただ書き進めるを、2ヶ月ぶりくらいにしている。いや、結局検閲している。ああああああ、って打つの情けないんだもの。
今朝は鴨川が綺麗だった。あんなに鳥がいたことあったかってくらいに鳥がいた。白鳥みたいな鳥の細い体を見て、あんた、そんなふうに川に浸かって寒くないんですか、風邪なんて引いちゃあいけないよなんてことを思った。またあるところではすごく絵になる3羽の鳥がいた。自転車を止めて写真を撮っても良かったのにね。でも早く職場に言って前の担当者を休ませたかった——これはいい子ぶっているのか?——のを言い訳に、下手な写真を撮って怪我しちゃあいけないよなって思ったのか、素通りした。もう輪郭も朧げ。つべこべ言わず撮っておけば良かった。そんなことの連続。
鴨川沿い。地べたに落ちていた弁当の殻を啄んだ烏。その対角線は烏の体長と近しくて、嘴に抱えたまま飛び上がる姿は少しよろめいているように見えた。見上げる私。目を前に向けると、正面から自転車が一台。その運転手も烏を眼差していた。そりゃあ、見ちゃうよね。だって面白いんだもん。
もう一昨日になるか。電車の隣の席に座った見知らぬ婆様は、車内の壁なのか荷物棚なのか床なのか椅子なのかを見て、「綺麗なったわね」とお連れさんに言った。それってどういう意味なのかしらって私は気になったんだ。改めて、私も車内を見てみた。確かに綺麗だとは思うけれど、格別に綺麗なのかどうかはわからない。婆様は、私の気づかない綺麗さを捉えていたのか。それとも、最後に電車に乗ったのがもう十数年前で、それと比較すると綺麗ねって話なのか、それとも普段は半休ユーザーじゃないからこそ阪急に乗ってそんな言葉が出たのだろうか。私にはわからなかった。
その日は昼ご飯も夜ご飯も人と食べた。それぞれ違う人とのサシご飯だったけれど、2人とも歩調が早かった。寒いもんね、わかるよ。私は少し置いていかれながら、歩いた。でも2人とも見事にペースを落とさなかったから、実は私は置いていかれてなかったのか、それとも単に2人が私のことなんて気にかける余裕はなかったのか、わからないわね。ちなみに、その次の日——つまり昨日——はそのそれぞれ+私の3人でご飯に行った。2人は昨日ほど早歩きじゃなくて、むしろ私の方が歩くのが早かった気がする。日によるのね。
泣きそうになってる→別にそんなことないんじゃないですか?泣いてもないくせに適当なこと言うのってどうなんですか→うるさいな、泣きたい気分ってことだよ。ほっといてくれ→じゃあ人目につくところで言わない方がいいんじゃないですか→それは一理あるわね……。
ゾーニングの問題ですか。そうすればこんな日記は私のローカルなノートに収めておいたらいいわね。でもなんか、なんか違うのよ→何が違うんですか→何も違わないかもしれません。というか、私は露出狂です→人様の迷惑になる行為はおやめください→それはそうだわね……。
くだらねーんですわ。手癖でうだうだと書いて。でも他に何もする気が起きないんですわ→つべこべ言ってないで、一旦テキスト開いてみたら?→……ぐうの音も出ないのですわ。
職場にかかってくるイタ電、勘弁してくれという気持ちと、仕事が増えなくて良かったわという気持ちが共に湧いてきて、なんともいえないなと思っていたけれど、そもそも電話がかかってこなければ気を揉む必要もないので、イタズラ電話とか害悪でしかないと思った→言葉が強いな→Xやってなくて良かった。
インスタにログインするって自傷行為だから、思い直してやめました→そもそもアカウント消せば→それはそう……なんだけど、昔一度消したことあって、またやったらメンヘラ臭くないですか……ってただの美学の問題か。
その時の気持ちでしかその言葉って出てこないんだと信じて、こんな言葉も残してみるけど、結局再度読むことってないのよね。じゃあ無駄か?無駄じゃないと思いたいんだけど……→勝手にすれば→それはそうですね……。
手の止まる検閲の仕方はしていないけど、思念を止める検閲はしている。
ちったあ計量経済学の勉強したわよ→偉いね