カーテン

自分語り

『日常の言葉たち』を書いてみる」が楽しかったので、chat-GPTさんに出してもらった言葉で勝手に第二回をやりました。やっぱり楽しかった。


カーテンといえば白いレースのカーテンと遮光カーテンとの2枚でワンセットだった。いつまで使っていたのか忘れてしまったけれど、くまのプーさんの遮光カーテンはよく覚えている。読めないアルファベットの文字列と、デフォルメというよりは写実的なチューリップの花が印象的に残っている。反復されるイラストのパターンが心地よくて、風に合わせて膨らんだり縮んだりするカーテンをぼんやり眺めていた。あとは、遠目で見ると綺麗な白のレースのカーテンは近くで見ると思いの外黒く汚れてしまっていることがしばしばで、ギャップにびっくりしたこともあった気がするけどこれは捏造かもしれない。

男性の願望を投影したラブコメで見るような、主人公とヒロインが教室のカーテンに2人くるまって、世界を2人だけにしてしまうシチュエーションへの憧れを、いまだに捨てきれないでいる。そんなことをすることはとうとうなかったけれど、小学校の大掃除でカーテンを洗濯するのだと、重たい布の塊を運んだ記憶はある。家のカーテンとはサイズ感が全く違うから、レールに取り付けるために必要となる金具の数も違う。パズルのようにはめ込んでいく作業を黙々と楽しんでいた。

カーテンに関することで忘れられないのは、家のカーテンレールを歪ませてしまったこと。昔住んでいた平屋の賃貸には、私と妹が幼い頃には家族4人の、我々2人が大きくなって1人部屋を持つようになってからは両親2人の寝室、通称 “奥の部屋” と呼ばれる部屋があった。その部屋にはベッドはなかったから、日中は折り畳まれた低反発マットが壁際でひっそりとしているだけの広くて遊びやすい部屋だった。いつものように友人たちと走り回っていたら、もののはずみでカーテンを踏んづけて引っ張ってしまい、思いの外柔らかかったカーテンレールはあっけなくひしゃげてしまった。恐る恐る父親に申告すると案の定超弩級の怒りをかってしまって、彼がぶつぶつと小言を呟きながら復元する様をバツ悪く眺めていた。その時友人も一緒にいたのかどうかは覚えていないけれど、数日間は申し訳なさで小さくなっていた気がする。

私の家は引っ越しが多かった。都度交換するのも大変だという話だったのか、以前の住居で使っていたカーテンをそのまま新たな住まいに持ってきた結果、丈が合わなくてつんつるてんになってしまったことがある。ある程度日差しを遮ってくれればそれでいいだろうという考えを改めるきっかけとなったくらいに、なんだか情けないというか気の抜けた感じがして面白かった。そうは言っても案外慣れるもので、このつんつるてんのカーテンが今の実家の話なのか、何代か前の家の話なのかはあんまりはっきりしていない。きっと今の実家の居間のことだと思うから、今度帰省した折にでも確認しようと思う。そのくらいには風景に馴染んでしまっている。単に私が無頓着すぎるだけなのかもしれないけれど。

私の寮の居室はかつて居間として機能していた名残からドアを持たず、廊下と部屋を隔てるはカーテンのみである。部屋にあるカーテンはあと二枚で、一枚は年中降りっぱなしの遮光カーテンと、去年の夏頃に引かれた先輩のスペースと私のスペースとを気ぎるカーテンである。いずれも簡易的な壁として機能してくれていて、たかだか一枚の布で、ある程度のプライバシーが確保された気になるからすごいものだと思う。ちなみに、ベッドで眠るためには部屋を区分するカーテンを開けて先輩のスペースを一旦経由する必要があるので、夜眠る時には気を使うことが多い。ソファでゆっくりしている先輩と寝巻きを着て目を合わせるのは、3年目の付き合いといえど気まずいものなのだ。