体温計が38.0℃を告げる。寮の隣人たちがバタバタと倒れていく中、とうとう自分の番がやってきてしまった。バイト先の上司には朝から体調が悪いことを伝えていたので、あと1時間と少しもしたら交代の人がやってくる。もう少しの辛抱である。
発熱の非日常感を楽しんでいたのはいつくらいまでだっただろうか。小学生のとき、家族4人でインフルエンザに倒れたのは面白かった。普段は仕事で忙しい母がずっと家にいて、みんなぐったりしつつも揃っていることを楽しんでいた気がする、というのは美化しすぎだろうか。今となっては、建てた計画がぶち壊されることにイライラするだけだ。ちっとも嬉しくない。
わざわざ発熱を偽ったのはいつくらいまでだっただろうか。音楽科高校の入試直前は、1週間仮病で中学校を休んだ。そのくらいに追い詰められていた。あとは、高校生の時も一度仮病で休んだことがある。担任の先生が「38℃⁉︎ ちゃんと休みなさい!」と声を張り上げるのを電話越しに聞きながら、38℃は盛りすぎたかもしれないとぼんやり反省した。それが今や、ゼミ以外の授業にはそもそもほとんど出ていないし、金がないからバイトは欠勤したくない。偽る動機はもはやない。
大学生になってから、高めの熱を出して倒れることが増えたような気がする。それは熊野寮の過酷な環境によるものもあるのだろうけれど、多分単純に弱っているからなのだと思う。たまたま最近他己紹介してもらう機会に恵まれるが、大抵褒めてもらった後に「抱え込みすぎてグロッキーになっていることが多く、ちょっと心配」と添えられている。ぐうの根も出ない。精神的にも身体的にも病むことが増えた。
そもそもは周りにすごい人が多すぎるのがよくないのだ。なんであの人たちはあんなにも早熟なのか。焦るのも仕方ないだろう。ある先輩がくれた「遅咲きのモデルを探したら楽になるんじゃないか」の言葉を大事にしているけれど、まざまざと見せつけられたら生き急ぎたくもなる。ある友人が「京大にいると京大生が多すぎて困るから間引こう」と言っていた。すごくわかるし、彼がその後に続けた「でも間引かれるんなら俺なんだろうな」って発言が忘れられない。それもまたわかる。
頭も首も目元も痛い。交代まで1時間を切った。あと少し。でもまだ熱は引かない。