職場からドアを開けて外に出る。元日の空はそれにふさわしく澄んでいて、深夜対応のために寝不足でどんよりとしていた心持ちを忘れさせてくれる。
午前10時の鴨川にはランニングや散歩をする人たちがちらほらといた。冷える季節、晴れた青空と頬を紅潮させながら走る子ども。あまりにも可愛くてずるいなと思った。
退勤後、自転車で鴨川を北上するときは、できる限り景色を見ようと心がけている。頭の中に籠るのはこんなときくらい休んだほうがいい。そうは言っても気づいたら考え込んでしまっているのだけれど。
伸びをしながら泳ぐ鴨は心地良さそうで、見ていて楽しい気分になる。
祖父母の家に向かう道中、電車の向かいに異国出身らしい2人の女性が手を握って座っていて、少しびっくりして目を取られた。2人の顔はとてもよく似ていて、肌から見て取れる年齢差からすると親子なのだろう。
私は男性だからなのか、もう親と手を繋ぐことはない。これには性差もあるのだろうけれど、それよりも文化の違いが大きいんじゃないかな。
2人は静かな微笑みを讃えながらそれぞれスマホとを自分の時間を過ごしていて、なんだかいいなと思った。
母方の実家であけましておめでとうの食事会をした。学生が食べるにはあまりにも上等なものばかりだった。美味しかった。
アートワークとかイラストについて妹と相談していたら、「やっぱりつむぐはアボガド6さんが好きなんだろうね」と言われた。確かに以前は狂ったようにアボガド6さんの絵を見ていたし、漫画も買ったことがある。でもここしばらくは追っていなかったから面食らった。
でも、私の好みの端々にはそれが現れてたらしくて、妹はなんだかニコニコしていた。なんだかよくわからない気恥ずかしさを感じた。
一月位前、談話室にて居合わせた3人で『図鑑デザイン全史』という本を眺めながら、各ページごとに各々好みの意匠を指差して遊んでいた。しばらく続けているとお互いの好みがなんとなくわかってくるもので、私が「これ好きだな」というと、ある人に「そうだと思った」と言われた。そのときも似たような気恥ずかしさを感じたのだった。バレるって、私にとっては恥ずかしいことだってことだ。
夜勤の寝不足が響いてきて、これ以上いても幸せになれる気がしなかったから、食事会夜の部は早退することにした。
帰りの駅のエスカレーターに運ばれていたら、どうしようもなく寂しくなってしまったけれど、足りないのはきっと人ではなくて睡眠だから、ぐだぐだ考えずにとっとと寝たほうがいいと思った。
これは多分部分的には正しいけど、完全にそうだというわけでなさそう。睡眠も足りてないけど、多分人も欠けている。でもそれはどうしようもないことだから、諦めて曲を聴くくらいしかなかった。
行きの電車では途中で “Battery low” だとかいう不快極まりない警告メッセージが鳴ったので、渋々とイヤホンをしまった。今、改めて繋ぎ直すと充電残量は70%まで回復してくれていて、なんとか頑張ってくれそうだったので、「至高のプレイリスト」の全曲収録版を聴き切ることにした。楽しかったな。ぼちぼち全曲に感想を書いていきたいけど、それはまた今度。
Spotifyの「お気に入りの曲」を改めて眺めてたら、L.U.V が目に入ったので聴き返した。やっぱりいい曲だったから、文章にしてみることにした。そうしたら、元気になってきた。
睡眠さえ足りていたら、こんな寂しさなんてないみたいに強がるよりも、それはそれとしてとりあえず誤魔化すくらいが丁度いい。
日記の日付が24XXXXから25XXXXへ変わってることに、新年を強く感じている。