本を読んだ。人は向かい合う人によって少しずつ異なる演技をする。明るく快活な自分、優しく穏やかな自分、ねくらでしらけたな自分など、人はいくつもの仮面をつけたり外したりしながら生活している。そんなことが書かれている本だった。
私には気になる人がいる。その人はいつもすましていて、真面目で、みんなから優等生だと言われている。私はといえば、嬉しくなったり驚いたりしたら声が大きくなってしまうし、宿題の提出日は忘れてばかりで、いつも先生から注意されるというのに、あの人は先生からたくさんほめられているのだ。気になるし、少し気に食わない。
あの人って本当に心からあんなに真面目なのかな。そんなことってあるのだろうか。きっとあの人は優等生の仮面をつけているんだ。そうに違いない。私はあの人の仮面を剥がしたいと思った。仮面の下にはどんな顔があるのか見てみたいと思った。どんな顔なんだろう。塾の友達とはくだらないことを言ってふざけ合っているのかな。自分の部屋ではダラダラしているのかな。
放課後、その人を引き留めて屋上に連れていき、質問を投げかけた。なんでそんなにも優等生でいるの?真面目に勉強ばっかりして楽しいの?先生と仲良くしているところは見るけど、学校に友達はいるの?それとも塾の賢い子たちと仲良くしているの?そんなことを尋ねた、ら、その人はボロボロと涙を流し始めた。別に好きでいい子をやっているんじゃないと言って、その人は屋上を出て行った。扉の閉まる音と階段を降りる足音が小さく聞こえた。
私はびっくりしてしまった。私が仮面を剥がそうとしたことが、あの人にとってあんなに涙を流すほどに痛いことだとは思っていなかったのだ。私は仮面をつけることがそもそも苦手だからよくわからないけど、周りの人みんなは上手に着け外しをしているもんだと思ってた。だから、私はあの人の学校での姿も仮面と衣装をつけた姿なんだと思ってた。ひょっとしたらあの人は、あの人自身と向かい合うときでさえ仮面を外さないのかもしれない。ずっとつけっぱなしでいるものだから顔の皮膚が仮面に引っ付いてしまったのかもしれない。それを私は無理に剥がそうとしたのだ。あの人の皮膚はちぎれて、きっと今もそこから血が流れている。
仮面なんて無理に剥がそうとするものではなくて、相手が外すのを待つしかないんだ。仮面の下の顔が見たかった私は、相手が外したくなるようなことってどんなことかを考えなくちゃいけなかったんだ。そう思ったところで、これってどこかで聞いた話だと気づいた。大切そうな教訓の意味を、私は人を傷つけて初めて理解したんだ。私って馬鹿だな。とりあえず、早く追いかけてあの子に謝ろう。許してくれるかはわからないけれど。