微熱

作り話創作

仕事も休憩時間になった。葵は椅子から立ち上がり、自動販売機へと歩いた。買うものはいつもと同じ缶コーヒーだ。ガツンとした強さが得意ではないのでブラックは飲まない。ミルクと砂糖によって刺激が緩められたものを好む。平日は大抵7時間睡眠で、昨晩も例に漏れずそのくらいだった。相対的に長いのか短いのかよくわからないが、葵の身体が求める睡眠には少し足りない。飲み干した缶をゴミ箱に入れて、席に戻る。ほのかな眠気とともに体が熱を帯びるのを感じる。

汗ばむほどでない、微かなぬるさを葵は好んだ。小学生の頃からそうだ。プール上がりの授業に流れる、いつもよりもわずかに高く感じる体温の中で少しまどろみつつも、しかし完全に眠りに落ちることはないままにぼんやりと起きたままでいる時間を好んでいた。水着はとても身体の貧相さを隠してはくれなかったので着替えの時間も準備運動の時間も嫌いだったが、水の中に自分を溶かしながら泳いでいる時間と、授業後に訪れる微熱を愛していたので、針は心持ち好ましい方に触れていた。

葵は独身でいたが、肌を重ね合わせることのできる相手は上手に見つけていた。今日は金曜。はじめて会う相手と夕飯を食べる約束がある。その後に何をするのかお互い分かっている中で、距離を測りながら少しずつアルコールで頭にもやをかけていく食事の時間が好きだ。今日の相手も素敵な人であればいいなと思いながら、手元にある仕事を静かに片付けていく。

葵が自分のセクシャリティを自覚したのは中学校の修学旅行だった。帰りのバスで、疲れ果てた同性の友人が葵にもたれかかりながら眠っていたときに、触れ合う腕の肌の感触が、服越しに伝わってくる体温がたまらなく心地よく感じられた。肌が温かくて、柔らかくて、触り合って心地よければいいのだ、相手の性別はさしたる問題ではないのだ、そんなことをぼんやり思いながら友人の寝息を聞いていた。

時刻がきて、仕事は終わる。退勤。お手洗いで容姿を整え直す。待ち合わせの場所へ歩く。それらしい人に声をかける。お互いを確認する。予約していたレストランへ向かう。談笑。食事。支払いを済ませて店の外へ出る。手をつないで歩く。ホテルに入る。シャワーを浴びる。少しずつ互いを探っていく。唇を重ねる。肌を合わせる。相手の深いところへと潜っていく。眠りへと落ちる。目を覚ます。少しじゃれあう。シャワーを浴びる。ホテルを出る。手を繋いで駅まで歩く。改札で手を振って別れる。

帰り道、葵は切らしていた煙草と晩酌用のハイボール、職場の自動販売機で売られているそれよりも少し良いカフェラテを買った。人と同じベッドでは眠りが浅くなる上に平日は慢性的に睡眠が足りていないのだからカフェインなど取らないほうが良かったのかもしれないが、睡眠に身を投じてしまうよりもほのかな眠気の中に感じる熱を抱いていたかったのでラテを飲みながら歩いた。自宅のドアを開けて靴を脱ぎ、先ほど買った煙草を手にベランダに出る。葵は量を吸うわけではなかったが、煙の匂いと、のんだときに訪れる浮遊感に身を委ねている時間を好んだ。二本ほどふかして部屋に戻り、平日に書店で手に取っていた新書をパラパラとめくった。

食欲はあまりなかったし、出かける元気もなかったので軽くとれそうなものをデリバリーで頼んで胃を満たした。本を読み、ゲームをし、Youtubeで好きな配信者を眺めている間に日も落ちてきた。適当なつまみを取り出して、昼に買ったハイボールを開ける。少しおぼつかなくなった足取りで浴室に向かって汗を流し、寝巻きを身に纏ってベッドに転がった。

葵は微熱に浮いている。ふわふわと、ゆらゆらと漂っている。その中に溺れ、底で朽ちていくかもしれないけれど、それで構わないと思っている。生ぬるさの中に沈みこんで、息をしないまま穏やかに戻れなくなる幸せを夢想している。朦朧とした気分のまま、いつの間にか眠りへと落ちていく。

まだ葵の身体はその命を手放そうとはしないから、少しずつ軽くなってきている肉体を此岸へと打ち上げる。ぼんやりとした目をこすりながら葵は体を起こして、また穏やかにぬるい海へと足を向ける。それを繰り返している。